大学は必要なのか問題①
どうも、あうくばです。
今回はホリエモンの大学教育に対する意見と、それに対するコメントを呼んで、私が考えたことの話です。
記事では、大学を無償化すべきかという議論の中で「大学は今の時代にはあっていな制度であり、ムダが多い」という主張をされているので、大学に国がお金を使うべきか・社会にとって役立っているのかムダなのか、大学の効率の良し悪しという視点から書いていきます。
学生が(また学生の親が)学費を払って通わせるべきかについてはまた別の機会に。
また、今まで書いたことと重なることも書くと思います、、、
私も学部レベルの学習に既存の大学のカリキュラムはいらないと思います。
まず、大学教授は基本的に教えるのが下手です。
特に、60代のおじいちゃん先生が教えてる授業も少なくないですが、高齢の教授の授業はほとんどスムーズに進むことはありません。
話がとぎれとぎれになるんです。
1時間半話すのは誰にとっても大変だと思うので、60代にもなると、かなりの苦労なんでしょうね。
後、彼らは自慢話をよく挟みます。
高名な学者と昔飲んだ話とか、在外研究の時に国外の有名な大学にいたという話とか、、、
勉強になる話ならいいんですけどね。
(大学教授にしては)若い教授たちにも、講義が下手だったり、自慢話が多かったり、やけに専門用語を英単語で言ったり、学生の勉強には非効率的な授業は数多いです。
学部レベルの知識を教えるのは、プロの教師がやればいいと思います。
また、学生それぞれの学力の点からも、大学の授業は非効率的です。
大学の授業は、何十~何百人もの学生が一つの教室に集まって、一人の教授の講義を受ける授業がほとんどです。
私の通う大学は規模が大きい方なので。
学生の成績は千差万別です。
学校教育がそもそもそういうものですが、成績がばらばらの学生・生徒・児童が、一人の教員から同じ講義を聞くのは効率悪いですよね。
オンラインで、予備校のようにプロの講師が学部レベルの知識を教えれば、知識を付けるのには十分だと思います。
教授はゼミ形式の少人数の授業だけやればいいです。
その代わり、今よりゼミを増やす。
ゼミは一般的に、学生は一つのゼミにしか所属しませんし、教授も各学年ごとに一つのゼミしか開講しません。
これをそれぞれ2~3個に増やし、例えば経済学部の学生なら、国際経済学のゼミと経済理論のゼミと経営学のゼミに所属して、それぞれのゼミで教授と密にコミュニケーションを取って、専門性を高めていく。
こうすれば効率的に知識を増やし、複数の専門を持つことができるはずです。
なぜゼミを残すのかというと、「集合知」というものは大切だからです。
知識を蓄えるだけなんて、インターネットがここまで広がった現代には無意味です。
スマホで調べちゃえばいいので。
「知識をどう使うか」、これを身につける必要があります。
そこで、少人数のゼミで、学んだ知識を教授のもとで発揮して、知識の使い方を学ぶべきです。
知識を身につけるのを効率的に行えれば、知識を使うことに時間をかけられます。
そして、ゼミでは学生同士+教授が意見を交えます。
(そんなゼミは、一握りしかないのが実情ですが、、、そっちの改善も必要です)
意見を交わす中で出てくる新たな気づきって結構重要です。
実際に集まって取るコミュニケーションと、インターネットを介したコミュニケーションでは生まれるものが違うと思います。
そこに大学の価値はあると思います。
長くなるのでこの記事については、次回以降のエントリに続きを書いていきます。
以上、よろしくお願いします。